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05/05: 白保シュノーケリングマップ
白保はアオサンゴの大群落があるために、シュノーケリングスポットとしても有名で、シュノーケリング目的で白保を訪れる方も多いようです。アオサンゴ以外にも、ユビエダハマサンゴの群落や、クマノミやイソギンチャク、その他の熱帯魚なども見ることが出来ます。
米原キャンプ場のビーチもシュノーケリングで有名ですが、リーフの内側でスケールの大きなハマサンゴやアオサンゴの巨大群落を見ることが出来るので、白保のシュノーケリングもおすすめです。
白保でのシュノーケリングは、基本的にはボートでのシュノーケリングツアーに参加するのがベストです。ポイントがビーチから遠いのと、場所によっては流れの強い場所があるからです。
とはいっても、私はシュノーケリングツアーの回し者ではありませんので、白保のシュノーケリングにおける、特に注意すべき危険な場所のマップを作ってみました。
05/05: 赤馬物語の真相?
石垣島マニアの方々は、当然知っているであろう、赤馬の物語。
宮良の坂の上には赤馬を記念した碑があります。
民謡「赤馬節」も有名ですよね。
この赤馬の話ですが、いろいろな想像をかきたてます。
宮良の坂の上には赤馬を記念した碑があります。
民謡「赤馬節」も有名ですよね。
この赤馬の話ですが、いろいろな想像をかきたてます。
05/04: 白保集落
石垣島の中で、面白い集落はいろいろありますが、なかでも白保はなかなか面白い集落です。白保は有名な集落なので、竹富島のように観光化されてしまいそうなものですが、観光シーズンの夏でも、妙なテンションの高さもなく、フツーに静かな昔ながらの集落といったたたずまいを保っています。といっても閑古鳥が鳴いてるわけでもなく、なかなか雰囲気のいい癒し系集落なのです。
04/26: 石垣島の大航海時代
以前に石垣永将について書きましたが、石垣永将の時代前後から、つまり16世紀終わりごろから18世紀初頭にかけての八重山は、なかなか熱い時代でした。
当時、八重山界隈では異国船が頻繁に往来し、与那国島から目と鼻の先で、オランダとスペインが艦隊戦などを繰り広げていたのです。
おそらく、その頃の八重山では、ちょっと小高いところに登って海を眺めれば、月に何回かは異国の帆船が白い帆を揚げて、沖を航走っているのが見えたことでしょう。与那国などでは、オランダ船に砲撃されたスペイン船が、煙を上げている姿などを見ることが出来たかも知れません。
石垣永将も川平生まれですから、川平石崎あるいは吉原の丘の上から、沖を航走る異国船の白い大きな帆を見て育ったのではないでしょうか。
当時、八重山界隈では異国船が頻繁に往来し、与那国島から目と鼻の先で、オランダとスペインが艦隊戦などを繰り広げていたのです。
おそらく、その頃の八重山では、ちょっと小高いところに登って海を眺めれば、月に何回かは異国の帆船が白い帆を揚げて、沖を航走っているのが見えたことでしょう。与那国などでは、オランダ船に砲撃されたスペイン船が、煙を上げている姿などを見ることが出来たかも知れません。
石垣永将も川平生まれですから、川平石崎あるいは吉原の丘の上から、沖を航走る異国船の白い大きな帆を見て育ったのではないでしょうか。
04/25: サバニの目
そろそろハーリーの季節ですが、ハーリーのサバニには目がついているのをご存じでしょうか。現在、普段の漁に使われている石垣島のウミンチュのサバニには目はついていませんが、ハーリーで使われるサバニにはついています。
昔の絵を見ると、琉球王国で昔使われていたマーラン船にも、目がついていたようです。
04/20: 人頭税(1)
八重山では昔、過酷な人頭税に苦しみ、トング田、クブラバリなど、残酷な口減らしや間引きが行われていたと言われています。
しかし最近では、どうもそうではなかったのではないかという説が浮上してきています。
ところが八重山には、「そんなことは無い、人頭税という過酷な税があって、非常に苦しんできたのだ。そのために口減らしや間引きせざるを得なかったのだ。」ということを強く主張する人たちがいるため、八重山ではこのようなことはいいにくいのです。
そのために、「人頭税過酷・口減らし説」はいまだに八重山ではまかり通っていますが、史料によると、実は琉球王国では、八重山の離島ならではの不便さや暮らしの大変さを考え、格別の配慮をしていたようです。では一体どういう事で、人頭税が大変だったという話や、トング田、クブラバリの言い伝えなどが生まれてきたのでしょうか。
しかし最近では、どうもそうではなかったのではないかという説が浮上してきています。
ところが八重山には、「そんなことは無い、人頭税という過酷な税があって、非常に苦しんできたのだ。そのために口減らしや間引きせざるを得なかったのだ。」ということを強く主張する人たちがいるため、八重山ではこのようなことはいいにくいのです。
そのために、「人頭税過酷・口減らし説」はいまだに八重山ではまかり通っていますが、史料によると、実は琉球王国では、八重山の離島ならではの不便さや暮らしの大変さを考え、格別の配慮をしていたようです。では一体どういう事で、人頭税が大変だったという話や、トング田、クブラバリの言い伝えなどが生まれてきたのでしょうか。
04/18: 石垣永将
石垣永将については、以前は結構研究している人もいたようですが(喜舎場永珣氏・大浜永亘氏・高良倉吉氏・青山玄氏etc.)、現在は専門に研究している人が少ないようです。人物や生年などについて諸説ありますが、少しは史料が残っています。
04/15: 豊年祭
豊年祭は、八重山諸島の各島々や集落で行われています。有名なのは四か字(石垣の市街)の豊年祭と、白保の豊年祭ですが、マニアな人たちに人気なのが、パナリ(新城島)の豊年祭です。
パナリと同じ系列の豊年祭は、西表島の古見、小浜島、石垣島の宮良でも行われています。これらはかなり変わった祭りで、他の豊年祭とは名前こそ同じですが、内容は全く異なります。祭りというよりもむしろ原始的な宗教儀式と言ってよく、専門用語で言うと、「秘密結社の儀式」の一種です。ルーツは西表島の古見とされており、「古見系の豊年祭」といわれます。日本でも(というより世界でも)珍しい、貴重な「秘祭」として、民俗学や文化人類学の研究者には注目されています。
04/13: 海賊の話
なぜここがオランダチブと呼ばれるようになったのか、私は以前から気になっていて、おそらく昔オランダ船が沈没でもしたのだろうと思っていました。しかし、どのウミンチュに聞いても、「何もオランからオランダチブというんだよ。」などと冗談めかして言うだけで、本当の所は誰も知らないようでした。よく考えてみると、沖縄本島の糸満から石垣島にウミンチュがやってきたのは140年ほど前なので、ウミンチュがオランダ船のことを知っているはずもなく、不思議に思っていました。しかし、最近、あるウミンチュから、興味深い話を聞きました。
04/13: 川平異国人殺害事件
あまり知られていませんが、石垣島は、昔から外国の船がよく通過する場所でした。大航海時代には東南アジアには、マニラやポルトガル領マカオ、インドネシアのバタヴィア、そして台湾にはオランダ植民地ゼーランディアや、スペイン植民地サンドミンゴやサンサルバドルがありました。石垣島はそれらの港から出た船が日本へ向かう航路の途中にあったのです。中には石垣島で水や食料の補給を行ったり、ちょっとした商売(密輸)をしていた船もあったようです。石垣島の史料には、たくさんの異国船の漂着記録も残っています。
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